記念キャンペーン第2弾 わたしとアサヒのちょっといい話コンテスト結果発表 あらためて、思います。おなべをつくり続けてきて、よかった。 創業70周年を記念して開催した「わたしとアサヒのちょっといい話コンテスト」。( 2014年10月~2015年2月に開催)審査にあたって、ご応募いただいたたくさんの作品を目にすることで、日頃みなさまからいただくあたたかいお言葉の裏にある、お一人おひとりのお客様の家族のドラマを垣間みることができました。これからも、一つひとつのお鍋を、一つひとつの家族の幸せのために。あらためて、気が引き締まる想いです。そんな数々のドラマの中から、今回は5つの作品を受賞作品に選ばせていただきました。
Bestいい話 最優秀賞「生きる支え」となった2つのなべの物語に。
主人の命をつないでくれた活力なべ
京都府京都市  塚本 成子 さま
3年しか保証されなかった命。33年間長らえて・・・
湯気の向こうの家族の笑顔と料理が最高のリハビリ
神奈川県横浜市  五十嵐 節子 さま
片手のみで作った煮物の香りが夫へ届く・・・
Veryいい話 優秀賞 心がほっこりあたたまる3つの家族の物語に。
みんなと一緒はうれしいね!
京都府南丹市  はるぼーママ さま

3歳の息子は小さいころからアトピー、
ぜんそくと病院通いが多く・・・
福岡県宗像市  立道 真美 さま

私は週に1回、病院の母を見舞い、
実家で料理をするように・・・
母からのプレゼント
岡山県岡山市  岡田 信義 さま

3年後に金婚式を迎える私たち夫婦を
新婚から今まで助けてくれたもの・・・
苦労とよろこびの宝物
さらに抽選で今回ご応募いただいた方の中から30名様に5,000円相当のアサヒ製品をプレゼント!
受賞を逃した名作たちも、ちょっとご紹介
活力なべシリーズのいい話 子供の健康と食育にまつわる作品
広島県東広島市
ひだまり さま
特製おにぎりランチ
北海道旭川市
田中 京子 さま
幸せの時間
大阪府大阪市
あや さま
ごはんを作る楽しさを教えてもらいました
フライパンシリーズのいい話 家族のいろんな幸せのカタチを描いた作品
大阪府枚方市
KI さま
息子の腕前
宮城県仙台市
ままりん さま
ママパン世界一!
愛知県岡崎市
伊藤 幸子 さま
これひとつあれば
懐かしいおなべのいい話 古き良き家族の日々を偲ぶ作品
和歌山県有田郡
まあみ さま
おかあちゃんのアサヒなべ
兵庫県神戸市
FH さま
父が炊いてくれたおいしいごはん
栃木県小山市
KM さま
アサヒ釜
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Bestいい話 最優秀賞

主人の命をつないでくれた活力なべ
京都府京都市  塚本 成子 さま

主人は、43歳の時に舌癌の手術を受け、長くて3年と宣告されました。が、75歳まで生きられたのは、活力なべのおかげです。本当にありがとうございました。

主食は玄米で、その中に根菜類(さつまいも、にんじん、ごぼう、れんこん)等を入れ、他に、小豆、しいたけ、昆布を必ず入れてやわらかめのごはんにして、小さく小さくおにぎりにして、残った3分の1の舌にのせて食べていました。たくさん食べられないので、ひと口が栄養たっぷりになるように考えました。40年前のことです。圧力鍋の存在を知るまでは、普通の鍋でコトコト炊き、新聞紙に包み、その上に毛布で包み、冬はおこたの中に、夏は座布団を上にかけ、すり鉢でトントンしてやわらかくし、おにぎりにして食べていました。

3年しか保証されなかった命。33年間長らえ、娘の結婚、孫の誕生、息子の就職も見届け、毎日おいしく食事がいただけて、満足して、穏やかに生涯を終えることができました。活力なべSW型のおかげです。これがなければ、私自身が作る気力をなくしていたと思います。感謝の言葉を伝える機会を与えてくださり、大変うれしく思っております。

今も毎日活力なべSW型はわが家の宝で、時間と光熱費の節約に欠かせません。真空フレッシュボックスも有効に利用しています。

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Bestいい話 最優秀賞

湯気の向こうの家族の笑顔と料理が
最高のリハビリ
神奈川県横浜市  五十嵐 節子 さま

カラフルな「ごはんの時間」は毎号、料理作りの意欲をかきたてる。鍋オタクの私のシンク下はお鍋でいっぱい! お料理大好きな私のオリジナル料理を主婦友に振る舞っては腕を磨いている。4人の孫たちに巡り会って、手前味噌だがその開発力に拍車がかかった。

快活で健康自慢の元気印の私が、何の前触れもなくくも膜下出血に襲われ全身麻痺に陥り、半年間も入院生活を送った。寝たきり状態は受容し難い地獄だった。

右手機能を少し回復したときは天にも昇る心地で、早速包丁を握った。玉ねぎやじゃがいもはすぐ転がり落ち、おさえ不可能な調理は気苦労と時間を要する。椅子に座っての作業はぎこちない。私の本来の居場所はベッド上ではなく、このキッチンのはずだ。テレビの料理番組を見て、己を鼓舞し、現実を受けとめ、自分の人生を自身で歩くべく、生活全般をリハビリへとつなげた。

片手のみの調理で作った煮物の香りが、私のテリトリーからパソコンをする2階の夫へ届く。至福のひとときだ。生きていて良かった! 命あることはなんとすばらしく、幸せなことだろう! 天上から舞い戻った命に感謝! 乾杯!

オールパンは適度な深さもあり、万能鍋として大活躍だ。片手鍋は大助かりでありがたい。娘と切磋琢磨し、折々の食事会で盛り上がる。娘婿の「節つんの味付けは僕の好みだよ」に刺激を受け、「外食よりバーバちゃんのお料理食べたい」との孫たちのせりふは私を有頂天にさせ、片手クッキングにますます張り切るバーバだ。

同封写真はシリコンハート型を使っての目玉焼きと青汁粉末入りパンケーキ。手が不自由なため卵を上手に割れず、いびつなハートでも孫たちは大喜び。何気ない日常の、湯気の向こうの孫をはじめとした家族の笑顔はリハビリに何より効果絶大だと確信する。口数少ない夫のはにかみ笑顔に鋭気を得て、さらなる高みを求めて、今日も台所へ向かう私は幸せだ。

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Veryいい話 優秀賞

みんなと一緒はうれしいね!!
京都府南丹市  はるぼーママ さま

我が家には5歳と3歳の2人の子がいます。3歳の息子は小さい頃からアトピー、ぜんそくと病院通いが多く、お薬手帳は4冊目。その中でもたくさんの食物アレルギーを持っています。小さい頃はよかったものの最近はみんなと同じものが食べられないことに涙することも多々あり、親としては胸がしめつけられます。

そんな息子にごはんを食べる喜びを感じてほしいと購入した活力なべ。下ゆでなし、短時間でやわらかく煮える肉じゃがや肉巻きは息子の大好物。特に活力なべを使って炊く玄米は毎朝かかさず食べるほどです。普通の家庭にとっては当たり前のことだけれど、みんなで同じメニューを一緒に食べられるということは我が家にとって幸せをかみしめられる大切なひとときです。

食べることは生きること! ! スーパーのお惣菜は食べられないけれど、アサヒの鍋を使ってこれからも息子と家族においしい料理を作り続けていきたいです。

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Veryいい話 優秀賞

母からのプレゼント
福岡県宗像市  立道 真美 さま

中学校の教員をしていた母は、多忙ながら料理に手を抜かない人でした。そんな母がいつも使っていたのが活力なべ。カレーや筑前煮、イワシの梅煮など、大きな鍋から湯気を上げて出てくる母の料理は、今でも私の記憶の中に映像や匂いとしてしっかり残っています。

教師の仕事だけでなく、お花、書道、料理教室、フラダンス、ボランティア活動と、アクティブすぎるほどの母。夜に出かけるときは必ず家族の夕食の準備をして出かけていました。20年前、私が結婚したときには活力なべを持たせてくれました。自営業をしている人に嫁いだ私も母に負けず忙しい毎日ですが、活力なべと母直伝のレシピで何とか今までやってくることができました。

3年前の夏、そんな母が癌を患い入院。すでに仕事はリタイアしていましたが、家にいる父と弟の食事のことが何より気がかりだったようです。私は週に1回、病院の母を見舞い、実家で料理をするようになりました。母があれだけ心を砕いて料理をしてくれたおかげで栄養面では完璧な食事をしていた父と弟。その2人がコンビニ弁当やスーパーのお惣菜では、母の努力が無駄になりそうで、とにかく野菜を食べてもらおうとたくさんの煮物やおでんを作って真空フレッシュボックスに保存し、温め方や食べ方をメモして帰りました。

母の容態は一進一退を繰返しながら、その年の冬の初めに亡くなりました。母が亡くなって3年。週に1回実家で料理をする私の習慣は、今でも続いています。母が長年立っていたキッチンにいると、引出しや戸棚の奥から、母の料理メモが見つかることがあります。そんなとき、母の姿が思い起こされて鼻の奥がツンとしてきます。母から新しいレシピを習うことはもうできませんが、この料理メモは母からのプレゼントのような気がして、メモを参考に、母を想いながら料理をしています。

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Veryいい話 優秀賞

苦労とよろこびの宝物
岡山県岡山市  岡田 信義 さま

私たち夫婦は、3年後金婚式を迎えます。この間2人の新婚生活から、いつも料理の友としておいしい料理作りに、真っ黒となり協力してくれたものがあります。

そのものとは妻が、母に「重宝よ」と勧められ、結婚前に購入したアサヒの鍋であります。今では、真っ黒になって、鍋底と同様の状態のうえヒビ入り状態ですが、今でも料理好きの妻の友として毎日毎日おいしい料理作りの万能鍋として働いています。

50年近く働き通しで、今では、私たち2人の新婚当初からの「苦労と喜び」を共に過ごした宝物です。

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活力なべのいい話

特製おにぎりランチ
広島県東広島市  ひだまり さま

「ママ~!お鍋がシュッシュ言ってるよ!」と、6歳の娘が活力なべを見てうれしそうにしている休日のお昼どき。

娘が生まれるのとほぼ同時に、我が家にやってきた活力なべは、娘と共に元気いっぱい。活力なべで作った離乳食やおかゆを食べていた娘は、今や、おにぎりを作っています。休日に娘と2人台所に立つ時間が、我が家のちょっと?すごく!いい話です。

保育所に通う娘が楽しみにしているおやつの時間。なかでも、1週間に1回のおにぎりは特別のようです。チーズとじゃこのおにぎり、はりはりおにぎり、たきこみカレーおにぎりなどおいしそうなものばかり。そして何より自分で握ることが楽しいようです。そんな娘なので家でも、「おにぎり作りたい!」と目をキラキラさせます。そんな時は、「次のお休みの日にしようね」と約束して、休日のお昼ごはんに、おにぎりランチを作ります。

お米を計ってとぐのは娘の役目。活力なべの見張り番もしてくれます。「まだかな〜いい匂いがする」とおしゃべりしながら。オモリがふれては喜び、蓋を開けた時の湯気に喜び、「まだ熱い~」と、炊き立てのごはんにうちわをパタパタさせては喜ぶ娘。おにぎりを握るときには、それはもう嬉しそうに「今日は三角むすびにしようっと。ママの分も作ってあげるね。どんな形がいい?丸?四角?じゃ、おそろいの三角むすびにしようよ。」とおしゃべりも止まることなく、しばらくコネコネ、ニギニギします。やっと、「できた!!」と、三角らしき、米粒がつぶれたおにぎりを手にニコニコ。そんなおにぎりですが、なぜかおいしく感じるのは、きっと娘の愛情と活力なべの力ですね。

外に行けば豪華なお子様ランチはありますが、活力なべで炊くご飯は格別です。娘とおにぎりを作る時間、こんな穏やかな時間がかけがえのないものだなと心まで温まります。特製おにぎりランチを次に作るのが楽しみです。

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活力なべのいい話
幸せの時間
北海道旭川市  田中 京子 さま

「息子においしいごはんを食べさせてあげたい。」その思いで購入したのが活力なべでした。

実は我が家の長男は、重いアトピー性皮膚炎と食物アレルギーをもって生まれてきました。生後2ヶ月目で発症。皮膚がヤケドをしたようにただれ、血や膿がでて、1日中苦しんで泣いてばかりいました。それでも、おぶって揺らすとわずかに眠ってくれるので、1日中、夜中もできるだけおぶって揺らし続けました。1ヶ月で私の体重が13キロも減ってしまうほど大変な毎日でした。

その息子が2歳に近づいた頃、アレルギー用のミルク以外におかゆをひとさじ食べさせていいという許可がもらえたのです。私はすぐに広告でよく目にしていた活力なべを注文しました。たとえひと口であっても、世界で1番おいしいおかゆを食べさせてあげたかったのです。本当は、皮膚の膿で下着や服がすぐにだめになったり、腸も弱くオムツも沢山必要だったり、アレルギー用のミルクも高くて生活も大変な時でした。でも大変な時期だったからこそ、この活力なべに出会えたことが1番の幸運でした。

おかゆもごはんもあっという間にできてすごくおいしい。おかずまで時短でできちゃいます。台所に立つ時間を節約できる分、以前よりも心にゆとりをもって息子を育てることができました。

息子は今、中学3年生。身長も170センチを越えました。小学生までは小さくて、心配だったのが嘘のようです。一生食べられないと言われたラーメンやパンも食べられるようになりました。反抗期で、親の痛い所もつくようになりましたが、昔一緒に遊んだことをよく覚えていて、時々当時の話をすることがあります。その度に、大変な中、少しでも一緒に遊ぶ時間がもてたことに感謝せずにはいられません。宝物の時間を作ってくれた活力なべさん、本当にありがとうございます。

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活力なべのいい話
ごはんを作る楽しさを教えてもらいました
大阪府大阪市  あや さま

私がアサヒさんのお鍋に出会ったのは、2年前のことです。ただいま4歳になる、上の子どものアレルギーが発覚して、毎日のごはんの作り方がわからなくなっていた時でした。主婦歴も浅かったので、卵や牛乳、小麦、とたくさんの食材を除去しなければならなくなり、今までは卵や牛乳、小麦、米をたくさん使ってごはんを作っていたので、ごはんをどうして作ればいいかがわからなくて途方に暮れていました。

というのは、世の中に出ているレシピやテレビでよく見る料理番組で、卵や乳製品、小麦は本当に当たり前のように使われていたからです。牛乳を使わない!卵を使わない!と書いているのを見て、慌てて手にとると平気でチーズは使っていたり、マヨネーズを使っている。なんでそんなウソつくの!と期待させられては、落胆の毎日でした。とにかくそれでも作らなきゃいけないので、毎日料理をこなしていたある日、「いろいろ考えて頑張って作っても子どもがあまり食べてくれない」と友人に相談したら、「アサヒさんの圧力鍋を使っているけれど、とてもいいよ」、と教えてもらったんです。

実はお医者様に、「圧力鍋でごはんを炊くと、高圧によりアレルゲンが減少するから、それなら食べさせてもよいよ」(アレルギーの状況にもよるので人によりますが※)と教えてもらっていたのですが、圧力鍋が怖いと感じていた私は、尻込みしていました。でも友人に、日本製であること、アフターフォロー等しっかりしていることを教えてもらい、活力なべで炊いた白いごはんや玄米を食べさせてもらい、子どもに食べさせるとおいしいおいしいと食べてくれ、私は購入を決意しました。購入すると、ついていたレシピには、ほぼ卵や牛乳が必要なレシピがありませんでした。すべてシンプルな材料で、簡単に作れるのに、とてもおいしくて、初めて「料理が楽しい」と思えました。料理が大嫌いだった私が料理好きになれたのは、アサヒさんのおかげです。

今では、アレルギーはかなりよくなりましたが、キッチンのおなべはほぼ、アサヒさんのお鍋で、作れるものだなんて思わなかった難しそうな料理にもチャレンジしています。アレルギーの大変だった治療中(まだ継続中ですけど)、一緒に戦ってくれたお鍋たちは、私にとってなくてはならない大切なものです。
※個人による見解です。

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フライパンシリーズのいい話

息子の腕前
大阪府枚方市  KI さま

家族の誰よりも早く起きてのお弁当作り。息子が幼稚園に通っていた2年間、中学生だった3年間、そして今、高校2年生。足かけ7年のお弁当作り。しかし、そのお弁当作りに変化が生じている。

「卵焼きだけ焼いといて」と息子。真ん中にベビーチーズが入った卵焼きだけを私が作る。そのほかのおかずは息子が作るようになった。セロリとパプリカの炒め物、大根とししとうの煮物、時にはお好み焼きなどが、私が朝起きるとでき上がっている。夜中に息子が作ったものだ。「どれどれ」と、ひとくち味見。おいしくできている。毎日毎日、おかずを作る大変さが分かり、何日かまとめて作り置きしているようだ。

炒めるのも、煮るのも、焼くのも、アサヒのオールパン。いつの間にか料理の腕を上げている息子。お弁当を作る手間が減った私は、嬉しいやら、寂しいやら。どうか、卵焼きだけはもう少し作らせてね。

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フライパンシリーズのいい話

ママパン世界一!
宮城県仙台市  まりりん さま

19歳を目前に会社の突然の辞令で、1月10日の寒い朝、娘は東京に転勤いたしました。わがままな娘を東京の街で鍛えてもらいたい反面、心の整理もできないまま、不安と寂しさを押し殺し、娘を信じて送り出しました。

憧れがあったとはいえ、さすがに東京は甘くはなく、人間関係で悩む毎日。電話で娘を励まし、一緒に泣いた日々でした。そんな中、私と娘を支えていたのは、地元にいたときから作っていた「ママパン」(2人だけの呼び名)でした。東京での不規則な食生活を心配した私は、活力なべとゼロ活力なべで小豆煮・大豆・黒豆煮のいずれかを作り、全粒粉・ライ麦・胚芽・米粉・黒豆粉・玄米粉・オートミール(戻しておく)・おから(又はパウダー)・酒粕などに、黒砂糖・ココヤシ糖・ココナッツオイル・黒ごま・トレハロース・塩麹・くるみを基本に混ぜ合わせ、オールパンでとろ火で片面約50分、裏返して約45分、匂ってくるまでじっくり焼き上げます。なた豆粉や紫芋粉などいろんな粉をお店で見つけたときは、とてもうれしくなります。

さて、焼き上がったママパンは冷ましてから16等分に切り分け、1個1個ラップに包んで冷凍してから送ります。ママパン作りには、活力なべとオールパンが欠かせず、どれほど助かっているか知れません。娘から「残り5個くらいです!」と言われると、いてもたってもいられません(笑)。あれから10年。「ママパンがないと心配!ママパンのおかげで元気です!ママパンおいしい!ママパン世界一!ママパン食べてるときが幸せ!」と言ってくれる娘の心と身体の栄養になれば...1日がかりの仕事ですが、これが私の生きる活力です。

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フライパンシリーズのいい話

これひとつあれば
愛知県岡崎市  伊藤 幸子 さま

私は50年以上前にCBCテレビ講師の宮本三郎先生推奨のワイドオーブンを婦人会のすすめで買い、今も使っています。

お釜も鍋もフライパンや焼き網もいらない、ワイドオーブンひとつあればとのこと。無水料理、赤飯、焼いもをよく作りました。今はだいぶ黒くなりましたが、今も使っております。使用手引に「1.栄養が多い 2.時間が早い 3.燃料代が安い 4.味が大変によい 5.調味料が少なくてすむ 6.鍋に焦げつかない 7.煮物の色が変わらない、経費を節約でき、貯金をして孫の代に家が1軒建ちます」と書いてあります。

昭和36年と平成3年に小さい家ですが、新築の家に2度住むことができました。今は嫁もアサヒファンで、我が家はアサヒの製品がいっぱいです。私も活力なべを使った煮物が得意です。主人85才、私は83才です。息子や嫁の帰りが遅いので、主人と中学生の孫とがんばっています。写真は孫が撮ってくれました。

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懐かしいおなべのいい話

おかあちゃんのアサヒなべ
和歌山県有田郡  まあみ さま

私は幼い頃から祖母と山あいの片田舎で2人暮らしだった。父と呼べる人は産まれたときから存在せず、母は離れた土地で水商売をして仕送りをしてくれる、父のような存在だった。それゆえか私は物心ついた時から祖母のことをおかあちゃんと呼んでいた。

私は高校卒業後、地元で就職し、料理学校に通った時期もあった。その後私は昭和61年に結婚し、おかあちゃんと3人で暮らし始めた。夫がうちへ婿養子に来てくれたのだ。その夫の実家には竹林があり、春にはたくさんのたけのこをもらった。そこで、たけのこごはんをおなべで炊こうとなった時に、おかあちゃんが出してきてくれたのがアサヒなべだった。

新米主婦の私にとって、炊飯器以外でごはんを炊くのは初めてでドキドキしたが、アサヒなべのどっしりとした厚みが安心感をあたえてくれた。料理学校のテキストを見ながら作ったたけのこごはん。きつね色のおこげもできて、3人でおいしく食べられて少し自信にもつながった遠い記憶がよみがえる。

その後新築した家に引っ越してから、おかあちゃんが亡くなり、月日も流れ、平成15年にディナーパンの広告を目にして、「あれ?アサヒって...」と思い、鍋のマークを見ると同じ!広告の内容も吟味し、購入を決意。その後も活力なべやオールパン、天使のなべ等々を購入し、我が家はアサヒのお鍋一色。油もほとんど必要なくなった。おかあちゃんのアサヒなべは、子どもの哺乳瓶を煮沸消毒するのにも厚くて大きくて重宝したが、いつの頃からか流し台のスペースにしまったままだった。

今回、ちょっといい話コンテストに応募するにあたり、引っ張り出してきれいに磨いて、そおっとIHにリフォームしたコンロにかけてみたが残念!点滅して使用不可。でも春になったらカセットコンロを使っておかあちゃんのアサヒなべでたけのこごはんを炊いて、仏壇のおかあちゃんにお供えしよう。そして今も離れて住む母に、あの頃の思い出話と共に届けに行こう。

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懐かしいおなべのいい話

父が炊いてくれたおいしいごはん
兵庫県神戸市  FH さま

私は昭和22年生まれです。子どもの頃食べていたのは羽釜で炊いたごはんです。朝はパンとコーヒーといった習慣のなかった時代ですから、台所の中心はその羽釜でした。とても重たかったこと、分厚い木の蓋の手触り、おもむきを今も覚えています。

次に思い出すのは電気釜で炊いたごはんです。育ち盛りの5人の子の世話をしながら父を助けて商家を切り回していた母にとってスイッチひとつで炊き上がる電気釜は便利でうれしいものだったはずです。ところが母はいつも「ガスの方がずっとおいしかったね。」と不満げでした。父も決まってうなずいていました。電気釜を使いながら、父と母はもう1度ガスで炊くごはんに戻したかったようです。ある日、ガスコンロの上にこれまで見たことのない形の鍋がのっていました。尋ねると、ごはんを炊く鍋とのこと。それがアサヒなべを見た最初です。私が結婚する少し前のことです。

末っ子の私が嫁ぐのを機に、店を長男に譲って隠居暮らしをはじめようとしていた両親が、ガスでおいしいごはんを炊くために買った鍋でした。里帰りすると、ごはんを炊いてくれるのはいつも父でした。勢いよく沸騰する鍋の蓋がカタカタ鳴り出し吹きこぼれそうになると、ちょっと腰をかがめて火を止めたあとの”むらし”は、今の私がしているようにタイマーをセットして待つというのではなく、鍋に耳を近づけて中のごはんのつぶやきを聞いて判断するのです。グツグツと聞こえるあいだは絶対に蓋をとってはいけないと言われ、お茶碗を用意して待ったものです。「よし。もういいぞ。」の声に、ワクワクしながらよそって食べたごはんのおいしかったこと!

父が他界して15年過ぎました。鍋を見守るようにガスコンロの前に立っていた父が今もとても懐かしいです。大好きなこの古い台所にあるアサヒなべを写真に撮る機会ができたことをうれしく思っています。

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懐かしいおなべのいい話

アサヒ釜
栃木県小山市  KM さま

我が家を新築することになり、母屋と裏にある炊き場を娘と一緒に片付けておりました。私が嫁いだ頃は薪を使って、煙で涙を流しながらごはんを炊いたなぁと懐かしく思い出しました。

早速その日はお釜をきれいに洗い、大工さんから廃材を頂き、何十年かぶりに釜でごはんを炊いてみました。「赤子泣いても蓋取るな!」ということわざがありますが、でき上がりが楽しみで、みんな蓋をあけたくてのぞきたくて。今ではなかなか食べられない、釜の底にできたおこげ。ちょっとお醤油をたらして。懐かしくて、おいしくて思わず涙がこぼれそうでした。

昔はごはんを炊くのも今と違って大変だったけれど、こんなにおいしかったんだなぁ。これからも時々は釜で炊いてみようね!ということになり、孫たちも近所に住んでいるので、そのときはすぐに来るから電話してね!と言われました。我が家の楽しみがひとつ増えました。